興化山長光寺 興化山長光寺(稲沢市)
 応保元年(1161)に平頼盛の寄進で建立されたと伝えられています。境内には六角形の地蔵堂があり、このあたりの地名『六角堂』の由来となりました。井戸水は「臥松水(がしょうすい)」と呼ばれ織田信長が茶の湯に使ったと言われています。
興聖山総見院 興聖山総見院
 徳川義直が清須越で大須(名古屋)に移った総見寺住職の隠居所と織田家の菩提寺として建てました。県文化財の聖観音立像や信長公着用と伝えられる焼兜など文化財の宝庫となっています。
清洲宿本陣跡 清洲宿本陣跡
 大名参勤、勅使や朝鮮・琉球使節、お茶壺の参府などの宿泊や休憩所として美濃路の中では最も大きな建物でしたが、濃尾地震で焼失し、正門のみが名残をとどめています。
上畠神明社 上畠神明社
 清須三社の一つ。『尾張地名考』には御園神社が清洲の内宮ならここは外宮と記されています。
洪福山清涼寺 洪福山清凉寺
 土田にあった正法庵が火災を機に寛永年間に現在の地に移され清涼寺と改められました。山門上層の鐘つき堂の鐘は、正徳2年(1712)以来幕末まで清洲宿内に時を知らせ、尾張に残る時鐘として貴重なものです。
日吉神社への道 日吉神社への道
 道標があります。
日吉神社 清洲山王宮 日吉神社
 清洲三社の一つ。宝亀2年(771)、疫病を鎮めるために建立されました。豊臣秀吉の生母(大政所)が子授けを祈願し秀吉を授かったといわれる子産石があります。
枡形 枡形
 美濃路はここで左に曲がり、すぐ右に曲がります。旧街道に多くみられ、外敵が侵入しにくいようにしたものです。
大雄山正覚寺 大雄山正覚寺
 松平忠吉が慶長8年(1603)に実母宝台院菩提のため建立しました。清須越で名古屋に移ったが、跡地に新たに大雄山正覚寺として建立され現在に至ります。
須ケ口一里塚跡 須ケ口一里塚跡
 熱田宿から古渡、江川を経て3っ目の一里塚。かってはこのいちりづか橋あたりは榎の老樹が茂っていたといわれています。その後、用水の改修で跡かたもなくなってしまった。
長谷院 長谷院
 尾張三十三観音第二札所として堀江の観音様として親しまれてきました。境内には天保5年(1834)建立の多宝塔が現存しています。
新川ポケットパーク 新川ポケットパーク
 新川開削頌徳碑、津島街道道標(2基)が設置されています。美濃路散策の休憩場所としてご利用ください。
宝塔山瑞正寺 宝塔山瑞正寺
 境内には尾張藩土器野刑場で処刑された罪人の菩提を弔うため、文化12年(1815)に建立された石造り4.2mの宝塔があります。
飴茶庵 飴茶庵
 古い町屋を改造して作られました。屋根上様の社を載せており、美濃路散策の休憩場所としてご利用ください。
 
一休庵 一休庵
 古い町屋を改造して作られました。屋根上様の社を載せており、美濃路散策の休憩場所としてご利用ください。
おみやげの販売もしています。
問屋記念館 問屋記念館
 美濃路の街並みを形成してきた町屋(青物問屋)の商いと暮らしの様子を再現しています。
みずとぴあ庄内 みずとぴ庄内
 平時はコミュニティ活動の場として、災害時には避難場所として利用されます。駐車スペースあります。美濃路散策の起点としてご利用ください。
にしび夢だいこん にしび夢だいこん
 『尾張名所図会』に描かれた大根を担いだ男をモニュメントに再現しました。小田井の市の賑わいをしのばせます。
旧枇杷島橋モニュメント 旧枇杷島橋のモニュメント
          (名古屋市)
 元和8年(1622)に架けられ、長さは大橋69間(125m)、中島13間(24m)、小橋29間(53m)と言われています。幅は3間(5m)〜4間(7m)。